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NEW Whenever Wherever Festival 2018 そかいはしゃくち 北千住BUoY(足立区千住仲町49-11) 2018年4月26日(木)―29日(日)

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アーティストが主導するボディ・アーツ・ラボラトリー(BAL)主催によるダンス・フェスティバルの第8回として、whenever wherever festival(ウェンウェア・フェス)2018を開催します。
wwfes2018では、4名のアーティスト、福留麻里(ダンサー)・aokid(アーティスト)・村社祐太朗(新聞家主宰、演劇作家)・七里圭(映画監督)がキュレーターとして企画したパフォーマンスやトーク、展示などのプログラムを行います。空間デザインを担当するのは、木内俊克+山川陸。「そかいはしゃくち」をテーマに、北千住BUoY地下劇場が6つに仕切られた空間で、企画ごとに異なるエリアを用いて、複数のプログラムが4日間で展開されます。

■主なプログラム
福留麻里企画「he meets no time capsule ひ みつ の たいむかぷせる」松本力×佐々木文美
aokid企画「Nice to meet you ! And we…」たくみちゃん(橋本匠)、ハラサオリ、村上裕
村社祐太朗企画「コンペティション|演劇のデザイン」内野儀、村社祐太朗、他
七里圭企画「ワンダー・ロケーション」山形育弘、神村恵、田中淳一郎、菊地敦子、田中真琴、佐藤駿、他
山崎広太企画「病める舞姫をテキストにした公演」石井則仁、三東瑠璃
ほか

■開催情報
whenever wherever festival 2018 そかいはしゃくち
期間:2018年4月26日[木]―29日[日]
会場:北千住BUoY
※同時開催|BALパフォーマンス・プログラム(企画:山崎広太)

ウェブサイト:http://bodyartslabo.com/wwfes2018
ブログ:https://wwfes2018.tumblr.com
フライヤーPDF:http://bodyartslabo.com/wwfes2018/files/2018/04/wwfes2018_web.pdf

■企画コンセプト

そかいはしゃくち

時間単位で区画は切断・接合され、
機能は順次移動し、導線は書き換えられていく
複数のダンスが一つの景観の中で共存すること

「租界」はいわば“借地”のことである。歴史上最大規模の租界である上海共同租界は、1842年から1943年まで存続した。アヘン戦争の帰結として中国が被った不平等条約に端を発しイギリスに貸すことになった貸すことになったその港町は、“にわかな自治国家”と呼ばれるほどに栄え、また自他の利害をうまく調整しながらひょうひょうと2つの大戦下を生きながらえた。借地のそれのように、人の土地に家を建てるようにして拓かれていった港町には公の法・条約は存在せず、“取り決め”が居合わせた人々によって適宜設えられていった。そして一方でそこはやはり「港」であり、貿易がその経済の礎である以上、関係を切り結んでいく外界の他者にとっての都合の良い帰着地であろうとしなければならなかった。取り決めは独占的であってはならず、それは外界との緩やかなシーム、妥協点でなければならない。

私たちがキュレーターとして今回の会場であるBUoYに持ち込むのは、この「取り決め」のいくつかである。限られた土地を区画し、町に必要な機能を配していくかのように、レセプションとロビー、アクティングスペースを空間に割り振っていく。ただ100年を4日間に詰め込むようにして、時間単位で区画は切断・接合され、機能は順次移動し、導線は書き換えられていく。その目的は遮音がされた芝居小屋を複数建造することではなく、複数のダンスが一つの景観の中で共存することである。租界は借地だが、さらにスケールをすり替えれば「時間貸し」でもある。そこまで卑近に「租界」を捉えることは可能だろうか。あるいは、独立からも侵略からも無縁な自治区を4日間演ずることは可能であろうか。[村社祐太朗]

■空間デザインについて

いわゆる「フェス」では、いくつもの公演が立ち上がっては入れ替わってゆく。この「フェス」における空間と時間の公共性そのものがテーマとして浮上し、キュレーターにより提示された「租界」の概念と出会い、文字通り同一の時間と空間を共有して複数のパフォーマンスを走らせる試みのアイデアが生まれた。

ではその空間構成の試みは、即物的な観点からはどう捉えるべきだろうか? そこで複数の行為の共存や入れ替わりを担保する上で重要だと考えられたことは三つある。一つ目は、空間は仕切りとして十分に利用しやすく、単純で、誰の目にも明らかな構造を持つこと。二つ目は、しかしながら実際にはいつでもルールを破れる自由度を担保していること。三つ目は、それらすべての構成要素が、すんなり受け入れてしまえる日常と同じ凡庸さを携えながら、一方で「どこか居心地が悪い」といった、常にあやふやな疑念や違和感を醸し続ける細部やヒントに満ちていること。それらどの働きも、「租界」のもつ理知や妥協、柔軟さ、刹那、変異し続ける潜在性の培養に欠かせないものであるはずだ。

これらの試みは、日常の公共空間におけるささやかなリスクと報酬のかけ引きを増幅して実践するという意味で、さながら公共空間の「クラブ活動」のようだ。そして公演の4日間が「公共空間クラブ」なら、その地に身体を、目をならす作業はさながら「基礎トレ」と言えるだろうか。ここにその暫定的ガイドラインを書き出し、参加する方々のより踏み込んだ部活動の実践を祈る(別に部活なしでも来ていただきたいが)。ようこそ、「公共空間クラブ」へ。[木内俊克+山川陸]



公共空間クラブへのガイドライン
「ここへ来るつもりじゃなかった」

連想と思考 記憶と知能 命とマシーン
その連続に気づいたら そこはスペイシーな浮遊ゾーン
意味なんかなくていい 他者(ヒト)と他者(ヒト)がそこにいて
だから色(イロ)を感じられる
月夜の折れた葦のように
ただ在ることができる領域(エリア)
「ここへ来るつもりじゃなかった」

理解してるものを認知してなくて
認知してるものを理解してなくて
言葉が光に融け出すとして
イメージが響きになるなら
すべては書かれていて すべては同時に読まれてる
どこまでも透明な まっさらな真空溶媒
そう 視界は良好 基礎トレ好き so bad

 

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