休憩する時間を豊かに過ごす

インタビュー:鵜飼哲矢(鵜飼哲矢事務所)  聞き手:佐藤英治(イーエスアソシエイツ)

刈谷ハイウェイオアシスセントラルプラザ

設計 鵜飼哲矢事務所

PAの中央に位置する喫煙室パノラマ写真.天気がよい日は可動折り戸が開放されている PAの中央に位置する喫煙室パノラマ写真.天気がよい日は可動折り戸が開放されている


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鵜飼

外部と一体化した喫煙室の配置。
外部と一体化した喫煙室の配置.
手前が佐藤英治氏.奥が鵜飼哲矢氏.

この場所は,愛知県に第二東名高速道路をつくるにあたって(2004年12月開通),高速道路から入るサービスエリア(SA)・パーキングエリア(PA)と都市公園とを一体化した「ハイウェイオアシス」という新しい制度のもとつくられました.しかし制定後,ひと続きの敷地で計画ができるにも関わらず,複数の主体が存在するために,一体化したメリットがなかなか実現できていませんでした.今回は,刈谷市の商工会議所が,ここを運営するために「刈谷ハイウェイオアシス」という会社を設立し,刈谷市と併せて第三セクターもつくりました.その上で,民間の「刈谷ハイウェイオアシス」が公園部分の委託を,第三セクターがPAを請け負う.ただ,「刈谷ハイウェイオアシス」がこの第三セクターの株主ともなったので,実質はひとつの主体で計画を進めることが可能になりました.

僕たちの提案は,とにかく運営形態含め,バラバラな3つの主体を繋いでひとつにし,ひとつの街にしようというものでした.公園も重要だったので,ランドスケープの稲田多喜夫さんと一緒に,境界のない街のようにつくることを一貫して進めました.今では,全国のPAの中でもトップクラスの売り上げを誇っています.前年度で集客は年間400〜500万人,売り上げも順調に推移し,施設として成功しています.建築計画は,敷地の中に7つの建物を点在させる配置計画としました.そうすることで,高速,一般道双方から自然にアプローチできる裏も表もない場所をつくったのです.

この施設の大きなコンセプトは,デラックストイレと呼ばれるトイレがあることです.高速道路のPAに寄るいちばんの目的は休憩です.トイレ休憩だったり,たばこの一服休憩だったり,それをしてからお土産などを買いに行くんです.だから,まずいちばんのトイレ,喫煙室をつくりましょうとクライアントに提案しました.今はこのトイレが目玉になっていて,特に女子トイレはホテルのロビーのようなゆったりとした空間になっています.トイレの中に女性専用の喫煙所も設けていて,見られたくない人にも配慮をしています.ここにある他のトイレにもさまざまな工夫をしました.そういう中で,喫煙所も,今までのPAでは片隅においやられ,食事などは持ち込めなかった場所のあり方を見直し,建物と外部の接点に入れ込むかたちで配置して,飲食もできる場所にしました.街のカフェなどで室内が禁煙の場所は,入口の外側に喫煙者用のスペースが設けてありますが,ここは建物内部に入れ込まれているにも関わらず,可動折り戸によって,天気のよい日はシャッターを開けて外部にもなる空間としています.今はたばこを吸う人も吸わない人も,同じ空間の中でくつろぐ姿が見られます.


一般道からのアプローチ.

デラックストイレ(女子).カーペット敷きの床にゆったりしたソファが中央に置かれ,トイレとは思えないくつろぎのある空間をつくり出している.
佐藤

トイレも喫煙所も,とにかく目的がはっきりしているので,それだけを解決する空間になりがちです.ここはその目的をより快適にするための空間がつくられているのがよいと思います.お金を生まない場所ですが,その重要性に着目し,快適にしたことが,建物や場所の魅力に繋がる点を見直してみるべきですね.

鵜飼

通常PAは,建物と駐車場を結ぶ方向でしか人は動かないと考えられていたようです.でも,建物を点在させてみると人が敷地内をぶらぶら歩くようになりました.トイレや喫煙所にしても,わかりきっている目的以上の提案を与えてみると,もっと違った行為や人の動きがつくれると感じました.

佐藤
喫煙所の解決という意味でも,ひとつの目的を与えて囲った中に人を押し込め,空気は機械に頼って処理する発想ではなくて,オープンスペースがあることを利用して外部空間にすること,同時に建築空間の中にも取り込まれているというふたつの回答から見事に解決されています.これなら機械に頼らず,たばこを吸う人も吸わない人も同じ空間を共有できると思います.

建築概要
刈谷ハイウェイオアシスセントラルプラザ
設計 鵜飼哲矢事務所
所在地 愛知県刈谷市

鵜飼哲矢(うかい・てつや)
1966年愛知県刈谷市生まれ/ 1990年東京大学建築学科卒業/1990〜92年丹下健三都市建築設計研究所/1992年鵜飼哲矢事務所設立/1995年東京大学建築学科大学院修士課程修了/1997年Architectural school of Architectural Association卒業/1995〜98年東京大学建築学科大学院博士課程/現在,東京大学建築学科助教,東京理科大学非常勤講師